１１月５日（金）
	彼女の妄想と私の赤い髪
	天国ってこんなところなのかもしれないと思った。 　敷地は広いし、花があちこちに植えられている。この庭の全体像をつくった 人はピラカンサが好きな人だったのだろう。赤くて小さな丸い実をつけたピラ カンサの木がたくさんあった。とてもきれいだ。 　面会に行くなら、あったかい日がいいと思っていた。大風が吹いて、首をす くめて歩かなくちゃならない寒い日は避けたかった。ただなんとなく。 　今日は私の希望にぴったりの日だった。 　彼女と会うのは八ヵ月ぶりだ。 　あのときの彼女は目が落ち窪んで、髪はぼさぼさに乱れて、肌もがさがさだ った。信じられない変わり方で、私は言葉も出なかった。 　金が要ると彼女は言った。理由を聞かなくても、そのふつうじゃない姿を見 ればせっぱつまってることはわかる。 　金額を訊いた。一千万と彼女は答えた。答えてから、彼女の生気のない目か らとめどなく涙があふれだした。 　大切な人の命にかかわることなのだと彼女は言った。 　閉鎖病棟でも面会ができることを私ははじめて知った。 　鉄格子に囲まれて、面会もろくすっぽさせてもらえない隔離された場所とい うイメージがあったのだけど、そんなことはなかった。 　彼女は私に”返済予定表”を見せてくれた。それは几帳面な彼女の性格をよ く表した返済表だった。実に事細かに書かれている。 「ごめんね、十年かかるけど」 　彼女は言った。 　借金取りに追われているという妄想。 　どうしてそんな奇妙な妄想に取りつかれたのだろう。 　私が貸した五百万円は今どこでどうなっているのか（金が無い無いと言いつ つ、実は貯めてましたなワシ）。いや五百万なんてどうでもいいんだよ。どう でもよくはないか。私だけのお金じゃない。千佳と私と二人の貯金だものな。 　千佳はまだ気づいてない。貯金が無くなっていることを知ったら、千佳はこ んどこそ私に愛想を尽かすだろうか。 　彼女は今も妄想の中にいる。 　けど、病院に入って本当によかったのだと思う。彼女を精神病院に入院させ たお母さんに私は心から感謝する。だって、彼女の頬、私の大好きだったやわ らかくて触わりたくなるあの頬に戻っていたから。それだけでいいんだ。 　ああ本当に彼女のことが大好きだ。どうしてこんなに好きなんだろう。 　妄想の返済予定を私に話して聞かせる彼女。私は、うんうんと真剣に耳を傾 けて聞く。心を病んだ彼女と話してて楽しいかって？　五百万はどうするのか って？　楽しいとか楽しくないとか、そんなカッタルイこと超越しちゃってる んだなきっと。彼女の話なら、たとえそれがどんなに荒唐無稽な話だって耳を 傾けたいよ。聞きたいよ。そばにいて、いつまでだって話を聞いてたい。 　彼女は私がこんなに彼女のことを好きだってことを知らないけどね。 　でも、もしかしたら気づかれているかなあ。 　高校のとき、みんなで旅行に行って、私は彼女の隣の布団で寝て、心臓が爆 発しそうだった私はもちろん一睡もできなかったわけだけど、寝返りをうった 彼女の体が私のすぐ横にきたとき、私は彼女の胸にそっと手をのばした。彼女 はＴシャツで下着をしてなかったから、乳首の感触もはっきり伝わった。 　あんなに心臓がドクドク鳴るものかな。後にも先にも、彼女にエッチなこと をできたのはそのとき一回だけ。このワシがね。まったく笑っちゃうけど。 　病院の帰りに美容院に寄った。唐突に髪を真っ赤に染めたくなった。 　ピラカンサの赤があんまりきれいだったからかもしれない。 　早く彼女が治りますように。
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