３月２６日（日）
	そろそろ眠いかもしれない
	林檎が公衆トイレで眠るようになったわけは、恋人の部屋のベッドで一緒に 眠っていたはずなのに、林檎が目が覚めたら恋人が死んでいたからだ。自殺だ った。林檎はその日以来、そばに人がいると眠れなくなったそうだ。 「そば」は林檎の中で奇妙にどんどん拡大されて、同じ建物の中で自分以外の 人間が眠るのもダメになった。彼女はこの先、誰かと一緒に眠るということは もうできないかもしれない。 　死ぬってことは一番ラクな逃げ道。そう言う人もいる。けど、私はそうは思 わない。ラクじゃないだろうよ。私は他人にそんなふうに言えるほどエラい人 間じゃない。他人に対してそんなこと言えるかよ。 　私みたいな人間にでも言えることがあるとしたら、それは自分についてだけ だ。私は決して自殺しない。それだけだ。 　人間に絶対はないと言う人もいるけど、絶対はあるんだよ。私にはわかるん だ、私は絶対に自殺しないってことが。それはもうさ、わかるんだから仕方な いじゃない。いくら絶対なんてことはありえないって言われても、わかるんだ もの。だって、「私は絶対に死なないから。クミちゃんを残して絶対に自殺し ないから。約束するから」そう約束したんだから。そう言って林檎を抱きしめ たんだから。しょうがないじゃない、わかるんだよ。 「絶対に？」と林檎は私の眼を見る。 「絶対に」私も林檎の眼を見る。 　そうしたら、林檎は眠るように目を閉じたよ。しばらくのあいだ、林檎は眼 を閉じていた。私は林檎が息できないくらいぎゅーっときつく抱きしめた。 「眠いかもしれない」と林檎は言った。
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