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	３月２０日（月）
	十五の春と十七の秋と自転車の後ろ

	春の嵐だ。いい陽気なのにものすごい風。　こういう日はけだるくてしょうがない。身体中がゾワゾワする。眠い。何もする気にならない。　学生時代は中学も高校も自転車で学校に通っていた。今日みたいな大風の日は風向きによって学校に行くかどうかを決めていた。　向かい風なら休む。押し風なら行く。とても単純。　ワシの家からはほぼ一本道で学校に行けた。押し風はほーんと気分がいい。　まるでバイクに乗ってるみたいで、ペダルなんかこがなくてもスイスイ前に進む。学校に行かなくても、うちの母は何も言わないので、ワシも姉も妹も弟もその日の天候や気分で学校に行かないことは珍しくなかった。まったくいいかげんな家だった。　高校の入学式の日は強風だった。向かい風だった。休もうかなあとも思ったが、入学式くらいは行くことにした。　チャリにまたがって、えっちらおっちらワシはペダルをこいだ。進まないったらない。思い切り遅刻して学校に到着。ついた時点で早くも疲れてるワシ。もう帰りたいワシ。　まずはクラス分けの表を見に行った。表の前には誰もいやしねえ。すでに全員、入学式が行われている体育館の方に行っている。田舎の進学校だし、入学式に遅刻してくるヤツなんか一人もいないんだよね。　体育館に入る。壇上で何か喋ってる人の声だけが響いている。ワシは自分の席があると思われる方向にこそこそと歩いた。ようやく自分のイスを見つけて座り、ふぅと小さく息を吐いた。　四十分も向かい風と格闘してきたワシはすぐに眠くなってしまった。ワシの人生はいつも眠いのだ。ヒマさえあれば寝ている。　式が終わった。教室への移動の途中で、隣の席だった女の子が話しかけてきた。「入学式に遅刻してきて、居眠りもしちゃうなんてすごい」　彼女はクスッと笑った。　それが私と貴ちゃんとの出会いだった。十五の春だった。　貴ちゃんは電車通学だった。　よく自転車の後ろに乗っけてあげたなあ。　世にも下らない理由でワシが学校から退学を言い渡された日の夜、貴ちゃんから電話があった。「明日、学校に泊まろうよ」と貴ちゃんは言った。　次の日は土曜だった。泊まる場所は部室だ。貴ちゃんと一緒にいる時間がいっぱい欲しくて、私は彼女と同じソフトボール部に入ったのだ。本当は中学からやってたバスケ部に入りたかったんだけどね。　部活が終わった貴ちゃんは、そのまま部室に残って私を待っててくれた。　夜、私は学校に忍び込んだ。ソフトボール部の部室は部室棟の三階にある。　月が明るい晩だった。私たちが毎日練習していたグラウンドを、一晩中窓から眺めた。練習のはじめの肩慣らしのキャッチボールは、いつも貴ちゃんとした。深夜の学校は静かで、虫の声しか聞こえなかった。　二人でいろんなことを話した。たくさんの話をした。ばかばかしい話から哲学的なことまで、ありとあらゆる話を私たちは時間を忘れて語り合った。語り合ったといっても、話すのは主に貴ちゃんで私は聞き役だ。「直のジュースをほんのちょびっとだけ残しておくクセ、あれ、ほんとよくないよ。空なんかな？　と思って捨てようとすると、ちょこーっとだけいつも残ってんだもん。そんなちょびっとなら飲んじゃえばいいのにさぁ。なんであんなちょびっとだけ残すの？」　と貴ちゃんが笑って言った。　なんでだろうねぇ。今でもそのクセ直ってないんだよ。「何万光年もかかって光が届くって、理屈ではわかってても、どうしても信じられないよねえ。もう今は存在してない星を、あたしたち見てることもあるわけでしょ？　すごいよねえ」　と貴ちゃんは言う。私は頷く。「松野君の鼻、そんなに曲がって見える？　本人けっこう気にしてるんだよ」　貴ちゃんは幸せそうだった。　松野君と貴ちゃんは付き合っていた。松野君はアマレス部で、練習中に鼻を負傷した。パッと見た感じでもわかるくらい鼻が曲がってしまった。「人ってさ、ちょっと哀しいくらいでちょうどいいんだと思う。そんな気がするんだ」　明け方の日の光に貴ちゃんが眼を細めて言う。　貴ちゃんの飲みかけの缶ジュースを私は飲む。それだけでドキドキする。「あたしばっかり喋ってる。考えてみると、あたし、直のことあんまり知らないよ。でも、どうして直と仲がいいんだろ。不思議だね。直ももっと自分のこと話してよ」「そうだね」　と私は返事をした。　あいかわらず今もよく言われるんだ。考えてみると、直ちゃんのこと何も知らないって。一緒に暮らしてる奈々ちゃんにさえ言われるよ。　貴ちゃんと過ごしたその晩、私はとても満たされていた。　昼過ぎに、貴ちゃんを自転車の後ろに乗せて駅まで送った。徹夜明けの二人はもう眠くて、何も喋らなかった。十七の秋だった。何かでへこんだとき、私は眼を閉じてあの日に帰る。　どうして貴ちゃんなんだろう。何がそんなに好きなんだろう。わからない。　ただ、直ももっと自分のこと話してよって、まっすぐこっちを見て言われたとき、私は素直にそうだねって思ったんだ。そうだねって、心からそう思ったんだ。
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