３月１３日（月）
	月夜にコンコンコン
	貴ちゃんが面会禁止になった。 　先月、面会に行ったときはそんなふうに見えなかったのに。よくなっている ように私には見えたのに。 　へこんだ気持ちで空に行く。 　私がへこんでる顔をしてるときは、マスターはマスターが精神病院で働いて いたときの話をしてくれる。 「狐つきって言葉があるけどさ、本当に狐みたいに飛ぶ人がいるんだぞ。病院 に運ばれてくるだろ、大人の男がコンコンコーンッって叫んで飛ぶんだから」 「マジ？　すげえね。コンコンコーンッって飛ぶの？」 「マジ。コンコンコーンッて。直、こういう話、好きだろ？」 　とマスターは笑った。 「うん、大好き」 　私もちょっと笑う。 「それからあのときは参ったよなあ。俺、『歌手になりませんか？』ってスカ ウトされたんだ。廊下で呼び止められてさ、そいつが俺に紙を見せるんだよ。 見たら、それ、スケジュール表でさ（笑）。びーっしりコンサートのスケジュ ールが書いてあんの。その人、自分のことをスカウトマンだと思い込んじゃっ てる人なんだよ」 「スケジュール？　几帳面な人なんだねえ」 「俺もびっくりしたさ。そのスケジュール表、武道館も押さえてあるしな。好 きだろ、こういう話も」 「うん。おもしろい」 　武道館かあ、すごいなあ、いろんな妄想を抱えてる人がいるんだなあ。 　今日みたいな晩は、私はマスターとしか話したくない。 　マスターは次々と病院で出会った人たちの話をしてくれる。 「これは開放病棟のときの話。窓から何気なく病院の庭を眺めてたとき、女の 子がベンチに座ってるのが見えたんだ。ポツンと一人で座っててな。中学生く らいの子でな。それを見たとき、俺、なんだか涙が出てきてさ、泣けて泣けて しょうがなかったよ。こういう話も好きだろ？」 「うん、好き。ちょっと哀しいね」 　私は朝方までマスターの話を聞いていた。 　大事な人の命にかかわることなのだと言って、貴ちゃんは私に金を借りに来 た。大事な人って誰のことだったんだろう。人じゃなくて、何か違う意味が隠 されてるんだろうか。わからない。わからないけど、貴ちゃんが「大事な人」 と呼ぶその人が私はただ羨ましい。 　貴ちゃんを追い詰める借金取りがまた増えたんだろうか。病院にまで彼らは 追ってくるようになったんだろうか。どうすればいい。私が持ってるお金なら 全部あげるのに。いっぱい働くのに。 　どうしたら彼らは貴ちゃんの心から出ていってくれるのか。彼らの姿が私に 見えたら、私が彼らを殺してやるのに。どうすればいい。
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