1月3日(月)
  わたしは犬になりたい
 

   本日から仕事はじめ。
 マジメな自分にいたく感心。さすがワシ。こうでなくちゃな。
 世間様が休みのときこそ風俗は忙しいのだ。
 いや本当は元旦と二日も出勤してくれって店長から頼まれてたんだけど、元
旦から鞭握るのってなんかヤじゃん。二日ってまだのんびりしてたいじゃん。
 仕方ないので、今日から渋々出勤。

 新年早々、味のあるM男に大当たりしてしまった。
 こういうストーリーでプレイしたい。そう希望をこちらに伝えてくれるのは
大歓迎だ。こちらとしてはプレイがしやすい。
 でも、シナリオ持参って、おまえは何者だ? M男のヤツ、なんと原稿用紙
五十枚分ものシナリオを書いて持ってきたのだ。
「一生懸命書きました。読んでください」
 って、そんなの読んでたら、一時間のプレイ中、それ読んでるだけで終わっ
ちゃうってば!
「これ、かなり量があるから、今きちんと全部は読めないよ。読んでもいいけ
ど、そしたらプレイの時間無くなっちゃうよ」
 ワシは言った。
「いいんです! 読んでください!」
 えーっ、マジいいの? ほんとに? 原稿読むだけで、ん万円もらっちゃっ
ていいわけ? 新年からツイてるなあ。ラクチンでいいや。
 ていうか、M男、おまえは何しにSMクラブ来たんだ?
 シナリオ読んでもらいに来たのか(笑)?


 シナリオの題名は、「今宵、犬になる」。
 ちょっと文学的で小癪な感じだ。
 会社に出勤途中のM男が、ナゾの女にいきなり拉致されるっていう設定だ。
 このシナリオを演じるとしたら、ナゾの女が、つまりワシなわけだな。
 拉致されたM男はどこかに連れていかれて、女に飼われる。それまで、ごく
ふつうの生活を送っていたM男は当然最初は抵抗する。
 しかし、いつしか自分でも理解できない感情が生まれ、そうだ、これこそが
自分が求めていた生き方なのだと気づく。
 M男は人間を捨てて犬として生きる決心をする。四つんばいで歩き、犬食い
し、犬小屋で寝起きする。そして、M男の心は自由になる。という粗筋だ。
 いやー、びっくりした。予想外によく書けてるシナリオだった。
 これ、Vシネマに持ち込んでもイケるんじゃないか(笑)?
 ト書きとかも付いてて形式もきちんとしてる。
 思わず引き込まれて熱中して読んでしまった。

 ワシが読んでる間、M男は今にもお手をしそうなワンワンスタイルでじっと
待っていた。ワシが命令したわけじゃない。
 そのへんに座って待っててもよかったのに、まるで躾のよくできてる犬みた
いにお利口さんに待ってた。アハハハ。かわええなあ。
 見た目は紳士でやさしそうなオジサンだ。名刺をもらった。へえ。有名企業
だなあ。ふーん。会社ではなかなかエライ人らしい。

「意外とよく書けてるじゃない。まあまあよ」
 私は褒めてやった。
「ありがとうございます」
 ワンワンスタイルのまま、M男は嬉しそうに言う。
「おまえは犬になりたいの?」
「はい。わたしは犬になりたいのです」
 M男は恥じらうように答えると、かけていた銀縁メガネに右手をやった。
 気のせいか、そのなんでもない仕種がエグゼクティブに見える(笑)。
 けど、せっかくワンワンスタイルしてるんだから、それするなー。
 インテリの犬みたいで、妙に可笑しい。

 時計を見たら、まだ三分時間が残っている。
 三分あるなら、ちょっとだけやったるか。
「会社でえらくたって、おまえなんか、しょせん名刺一枚の存在だものね。お
まえに価値があるわけじゃないのよ。名刺に価値があるだけ。おまえ一人、人
間を廃業したって、だーれもこまらないわ。だって、おまえは無能なクズだも
の。それをわかってるから、人間をやめたいのよね?」
 SMで大事なのは、現実をまずハカイすることだ。
 相手の殻を粉々にSの言葉でハカイしてしまう。
 ショック療法といってもいい。

「はい。そのとおりでございます」
「人間やめて、とっとと一匹の犬になったほうがいいわね。おまえなんか」
「はい。わたしは犬です」
「アッハッハ。あら、もう犬になったの? ふーん。お利口な犬だわねえ。じ
ゃ、三べん回って、ワンって鳴きなさい」
 いい年した大人が、三べん回って、ワンと鳴いた。
 このときのM男のいい顔ったらなかったな(笑)。
 現実がハカイされると、人はラクになる。何かが開放される。もう世間とい
う名の不特定多数に対して飾る必要がなくなるからだ。
 私はM男の頭を、ご主人様が飼い犬にするように、よしよしと撫でてやる。
 この瞬間、M男は目の前のたった一人の人間にだけ認めてもらえばいい、小
さくて無力な存在となる。
 粉々になった現実の殻は拾わなくていい。そのあとには、もっとやわらかい
素材の、殻ではなくて、膜のようなものができているから。
 なんて、三分じゃ膜まではいけん(笑)。
 それは、ワシがふだん一時間二時間かけて、あるいは毎週、あるいは毎月来
る常連になってもらって、M男に行っている仕事だ。
 今日のM男には、ワシの仕事のほんの”さわり”だけやってやった。


 時々、高い金払ってプレイをしない客っている。
 けっこういるんだよな、話だけして帰る人とか。自作のシナリオ読んでくれ
ってのははじめてだったけど。
 たぶん、今日のM男は、シナリオの世界で自分の願望を既に実現してしまっ
ていて(いい昇華の仕方だ。頭のいい人なのだと思う)、あとは仕上げにそれ
を誰かに見てもらうだけだったんだろうな。
「わたしはいつも妄想してるんです。誰かわたしを拉致してくれ。今日こそは
ナゾの女がわたしをさらいに来るかもしれない。そしたら、わたしは人間やめ
て犬になろうって。バカな妄想ですよね……」
 帰り際、M男は言った。
 そうだな、バカだわ(笑)。何だよ、ナゾの女って。都合がよすぎるわ。
 でも、ワシは笑わない。って、笑ってるか。
 いや、いい意味では笑うけど、悪い意味では決して笑わない。

 多かれ少なかれ、人はみな、自分の中に妄想を抱いているものだ。こんな立
派そうな人がそんな恥ずかしい妄想を! そんなオバカな妄想を! とびっく
りすることだって珍しくない。
 ワシは年中、そんな妄想を聞いている(それがワシの仕事とも言える)。
 M男って日常的には立派な人が多いからさ(笑)。でも、そんな妄想を聞く
とき、ワシはM男のことを、いやM男というより人間のことを、ほんましゃー
ない生き物だな、クックックって、こう、なんてーか、愛しくなるのだ。
 妄想と現実はコインの裏と表のようなもので、いい妄想を持ってると現実世
界でも呼吸がしやすくなる。SMクラブは、その呼吸の手伝いをする場所なん
だと思う。


 目に見えるプレイだけがプレイじゃない。
 今日のM男は、「読んでもらう」という形で内的にプレイをしていたのだろ
う。やっぱりインテリな犬だった。
 新年なので、気分も新たに長々とマジメにSMを語ってみた。たまにはな。






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