８月２日
	パンは切ない
	仕事休み。 　猛烈な息苦しさで目が覚める。呼吸が苦しい。死ぬかと思った。身体中の毛 穴からぶわっと汗が吹き出ている。 　タイマーで午前十時にクーラーがつくようにセットしていたのだが、何かの はずみでボタンを押してしまい、暖房がセットされていた。 　慌ててクーラーを最強にする。冷蔵庫からポカリを出して一気飲み。生き返 る。十五分後、部屋はキンキンに冷える。ちょっと寒いくらい。 　よし。こうでなくては。クーラーがなくては生きていけん。私は、ひ弱な現 代人。体にも悪いんだろう。かまうか、そんなこと。クーラーなんか、ガンガ ン使ってやる。 　奈々ちゃんは、この夏休みも家に帰るつもりはないらしい。 「あの家、腐ってっから」と言う。 　高校にもずっと行っていない。たぶん留年するだろう。 　奈々ちゃんは押しかけるように私の部屋にやって来て、いつのまにか住みつ いてしまった。カラオケボックスに友達二人で歌いに来ているところを、これ また友達と二人で歌いに行ってた私がナンパした。 　その日のうちにセックスまでした。 「あたしってバイだったのかなあ。全然、抵抗なかった。アハハ」 　と、私と寝たことをおもしろがっていた。 「NAOちゃん、すげーテクニシャン。今まで何人、女、泣かしたん（笑）？」 　と褒めてくれた。 　夕方までだらだらする。奈々ちゃんと先週の「笑う犬」のビデオを見て過ご す。私も奈々ちゃんも、「トシとサチ」のコントの大ファン。 　いつもは、トシが「なんか腹減ったなっ。なんか食うかっ。何食うっ？　何 食いてえっ？」と言い、サチがお決まりで「パン！」と答える。 　先週バージョンは、少しバリエーションがついていた。 　サチに他の男の影が見える。トシがサチのことで、トシの先輩に相談してい るところに、先輩のケータイに電話が入る。どうやら先輩の彼女らしい。 　これから食事に行く相談をしている。トシは何気に聞いている。 「じゃ、何食べる？　何が食べたい？」 　と、先輩は電話の向こうの彼女に訊く。 「そうかっ！　パンかっ！　パン食べてえのかっ！」という先輩の声で、トシ はぎょっとする。パンでサチだとわかる。というものだった。 　私も奈々ちゃんも、大笑い。このコントの命は「パン」だ。 　でも、大笑いしたあと急に、 「なんかパンって切ねえ。パンって、イチバン切ねえ食べもんかも。あ、こん なこと言ったら、パン屋さんに怒られるかな」 　奈々ちゃんの今時のガングロが、ふっと涙ぐんだのでびっくりする。 「パンって切ねえ〜」 　奈々ちゃんは、ふざけたように、もう一度言った。 　夜、ワープロのスーパーディスクがぶっ壊れる。一瞬のうちにディレクトリ が五十個消滅。画面の前でしばし凍りつく。バックアップは取っていない。 　スーパーディスクは富士通が開発した、ワープロ用の大容量メディアだ。ふ つうのフロッピーは容量が１Ｍとかだけど、スーパーディスクはその２５倍の ２５Ｍをニフティやメールなどの通信用に使える。 　パソコンユーザーからしたら、２５Ｍで大容量？　と、プッと笑ってしまう かもしれないが、純粋なワープロユーザーの私からしたら、とんでもなく大容 量なんである。 　バックアップの大切さを痛感する。自分だけはだいじょうぶだろうという根 拠なき楽観は捨てねばなるまい。 　一番残念だったのは、最近お付き合いがはじまった純ちゃんからのメールが すべて消えたことだ。 　あきらめきれずに、ワープロフォーラムのシスオペ、Ｉさんに、会議室で質 問などというもどかしいことをすっ飛ばして直電。 「どうにかならないのーっ」と訴えるが、「スーパーディスクは不安定な媒体 だから、ガタガタ何かイヤな音がしたら、すぐに使用を止めるしかないよ」 　と、頼りにならないありがたいアドバイスをいただき、意気消沈する。 　傷心を抱えて、純ちゃんに電話。人妻であるので、ダンナさんが寝静まる０ 時過ぎが電話タイムである。 　今月は私の誕生日。誕生日プレゼントに、私がリクエストしていたものをく れると純ちゃんが言ったので、とたんに元気が出た。 　イッヒッヒッ。本当にアレをくれるんだろうか。涎が出て止まらん。 　無くなったファイルには他にも大事なものがあった。でも、落ちついて考え てみたら、どうってことないじゃないか。無くなったら、そこからだ。
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